あらすじ
「人が死ぬ瞬間を見てみたい」と、友だち3人で近所に住むおじいさんを観察し始めた。ある日、クラスメイトに見張りを怪しまれてしまい、場を取り繕うための成りゆきでおじいさんの手伝いをする羽目に。
その出来事をきっかけにおじいさんと交流を深めていく。果物の剥き方を習い、戦争での体験を聞き、河原では手作りの打ち上げ花火を見せてもらった。
夏休みが終わりに近づいたころ、サッカーの合宿から帰った3人はお土産のぬいぐるみを持って、いつものようにおじいさんの家へと遊びに行く。
この本の好きなところ
少年たちとおじいさんの人間関係が変化していく流れが好きだ。
人の死が見たい好奇心から近所のおじいさんを選ぶ。それは、その人がもうすぐ死ぬのではないかと思ったから。言い換えれば別の誰かでもよかったのだ。
しかし、交流を持つうちにおじいさんと過ごす時間が楽しくなり、夏休みの間は暇さえあれば家を訪れている。その変化は少年たちだけではない。子どもらと付き合うようになってから、おじいさんは3日に1回の買い物が毎日になり、洗濯もよくするようになるなど、生活にメリハリがつく。
何の見返りも持たない穏やかな友好関係がだんだんとつくられていくのが微笑ましい。
人生で一番つまらないこと
私は、生きる上で「乾燥していること」が一番よくないと思っている。
目の潤いが減るとドライアイになる。肌に水分が足りないとニキビができる。心が荒れると物事への関心がなくなってしまう。いき過ぎた乾燥はあらゆるトラブルを巻き起こす。
人間関係についても同じことが言える。たとえば、同じ会社で働く人同士なのにすれ違ってもあいさつを返さないとか、レストランの店員に横柄な態度をとるとか。乾燥している状態は心地よくない。
「誰とでも仲良くしよう」という意味ではない。もちろん、人によって付き合いの程度、深さは違ってくる。ただ、最低限の礼儀は持っておきたいと思うのだ。
おじいさんを観察していたころの少年たちは、完全に乾燥していた。おじいさんは観察対象としての「ヒト」だった。遠くから見てるだけで関係を持とうとはしない。
一緒に同じ時間を過ごす中で、同世代の友だちとは違う、また家族や学校の先生といった身近な大人たちとも違った誰にも代えられない存在に変わっていく。
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