4歳の私「外国人になりたい」

エッセイ

これは、私が幼稚園の誕生日会で発表した将来の夢だ。通っていた幼稚園では、毎月誕生日を祝う催しがあった。そこでは、誕生月の園児がそれぞれの夢を語る場面が用意されている。その場で恥ずかしげもなく披露した夢である。なんて突拍子のない夢だろうか。

夢の意図は全く覚えていない。もしかしたら「英語が喋れるようになりたい」という意味だったのかもしれない。世界で一番の公用語が話せれば、より多くの人とコミュニケーションをとることができる。

時は過ぎ、いつの間にか社会人歴も5年目に突入した。「趣味です」って言えたら大人っぽくてかっこいいかなと思って、本を読み始めた。本屋の目立つところに平積みされた小説や分かりやすいタイトルの自己啓発本など、文字さえ追っていけば、ある程度理解できるものが多い。

ここ1年で、これはよかったなと思った本は、「マチネの終わりに」「サラバ」「僕たちはどう生きるか」「未来の授業」あたり。ただ、よかったな、の中にもうまく飲み込めない部分がある。私の場合、それがどの本も共通している。どうも歴史が苦手らしい。

上に挙げた4つも、話の中に宗教のこと、歴史の偉人、政治的なことが出てくる。そうすると、途端に思考のシャッターが閉まってしまうのだ。未来の授業に至っては歴史上の偉人ばかりが出てくるのにね。

もちろん、現実の歴史を知っていなくても話にはついていける。だけど、歴史を知っていた方がより面白いのではないかと思う。本の中だけではなくて、いろんな立場の人と話すときに、もっと歴史を知っていればなぁと思うことも増えてきた。

だから小学生のころから遠ざけてきた歴史を今になって勉強してみようと決意し、世界遺産検定3級を受けてみました。完全に趣味の領域。なんとか合格したのですが、「文化遺産」の点数が低いあたりで、歴史の知識が不足してることが丸わかりな結果に…。

歴史を知っていたらたくさんの人とコミュニケーションがとれるから、どこかで外国人になれたりしないかなぁ、なんてね。

(2018年4月22日の日記より)

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