かっこいい大人になりたい

考えごと

私は物心ついた時から早く大人になりたいと思って生きてきている。

幼稚園に通っていたころは清涼感のあるグリーンガムが食べられるのが大人だなと思っていた。小学生になるとコーヒーをブラックのまま飲める人になりたくなった。わさびとかゴーヤーとか、辛い、苦いと食べられなかったものを「これがおいしいったい」と食べる父母を見てあれが大人かと衝撃を受けた。

中学生のころ、部活帰りに学校近くの本屋に寄ることがあった。あるとき友だちがレジで「カバーはかけますか?」と訊かれていた。そのあとすぐに会計をした私は聞かれなかった。なぜだ。友だちは活字の小説で、私のは絵がいっぱいの漫画だから?その日からカバーをかけるかどうか聞いてもらえるように澄ました顔をしてレジに並ぶようになった。進学校に進んだ高校時代、賢いクラスメイトが足を組んで勉強をしていた。すぐに真似した。私も頭がよく見えますように。同じ時間を過ごした友だちに随分と影響されていた。

大学生になって、やっぴはもっと自分の感情を表に出した方がいいと同じゼミの子に言われた。そうだよ!と他の子も賛同した。たしかに、自分の考えがあってもまあ別にいいかと諦めて場に流されることが多かった。それが我慢していると思われていたみたい。ツイッターに「今年の抱負は自分の気持ちを伝えられる人になることです」なんて書いて、まだまだ友だちの存在はデカかった。

就活を経て会社員になった。自動車の免許は取ったし、選挙にもちゃんと行くし、たまに酒も飲む。世間一般的な大人にはなった。でも朝は起きれないし、忘れ物はするし、言い訳はするし、夜は風呂に入らないまま寝てしまう。思い描いていたクールビューティな大人と違うやんけ。大人とは、どうも年を重ねて自動的になれるものではないらしい。

社会人になってからは「大人って自分で締め切りをつくらないといけないな」と思った。学生のころはレポートの提出期限が決められていた。夏休みの宿題は2学期の始まりの日までに整えておけばよかった。会社にいると「今週中にやってほしい」とか「なるはやでお願い」とかだいたいの目安は言われるけど、複数の仕事をどの順番で片づけるかさらに細かい締め切りを自分で組み立てる必要がある。優先順位をうまくつけられないと何も終わらない。上司に評価されない。給料が上がらない。会社勤めの私は仕事のことで頭がいっぱいだった。

8年務めた会社を辞めた。その後すぐに妊娠して出産して今は一日ずっと家にいる。子は1歳になり、夫は転勤のない仕事を見つけ、次の移住先を探している最中だ。働かない選択肢もあるが、私は働きたいと思っている。子持ちの女性が再就職する。なんてハードルが高そうな響き。

でも、「何者でもないってことは何にでもなれるんだな、何になろうかな」と意外とワクワクしている。なぜか強気なのだ。正社員になってもいいし、パートでもいいし、自分で何か始めてもいいんだなーと考える。前職と同じ業界でもいいし、関係ないことをやってもいい。もちろん、現実は甘くない。子が小さいことでの制限はあるし、勤務地的な条件もありながら、できるだけ稼ぎたいという願望をどう現実化させるか。

最近は「今の自分に納得している人」が大人なんじゃないかと思っている。さらに言えば「もし今の自分に納得していないなら、納得できるまで行動している人」と続く。

学生のころってたとえばクラスで文化祭の出し物をやることはもうすでに決まっていた。その中身を何にするか誰がどんな役割で進めていくかを自分たちで固めていく。クオリティはどうであれ出し物はやらなくてはならなかった。やりたくなくても。

でも大人って意外と諦めてもいい。たとえば資格試験を受けようと勉強してみたけど難しすぎたから途中で辞める。全然ありだ。大人だからゴールの設定は自分で決めることができる。何をするかは決まってない。だから納得してるならそれでいいのだ。

32歳の私はスースーするガムもブラックコーヒーもおいしいと思える。本屋でカバーをかけるかも聞かれるようになった。だけど高校生になっても会社に勤めてステージが変わっても次の納得できない状況が現れている。ってことはだよ、仮に就職先が決まっても、納得できない状態が生まれたらそれをひとつずつ解決しないといけないってことか。果てしないな。

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